JR茂原駅から長南町までバスで行く |
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長南町と庁南城 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
千葉県長生郡長南町は1955年に庁南町が豊栄村などと合併して今日に至っている。この地域の地名は古くから「庁南」と呼ばれていたことが、庁南武田氏とか庁南城と歴史上呼ばれることからも明白である。 JR茂原駅から小湊鉄道バスで長南町に向かう。仲宿バス停で降りると道路から庁南城のあった丘陵が見える。但し長南町の道路には庁南城趾の案内板などはなく、戦国時代140年間に渡ってこの地域を支配した庁南武田氏について、長南町の関心が低いことが寂しい限りである。 下の地図(庁南城及びその周辺)で庁南城周辺をどのように歩いたかを説明したい。 黄色の道が茂原駅から長南町役場に向かうバスが通るメインストリート(県道147号線)である。 仲宿バス停で降り川村屋精肉店の横にある道を庁南城の」あった丘陵に向かって歩く。 南谷まで歩く途中では右側が田で左側が山に続く人家や畑がある風景となる。 南谷から城谷までの区間が庁南城を感じることができる区間である。 庁南城の主要部分と言われてる太鼓森に行く為に県道147号まで戻る。裏道を通れば近道になるのだが、道に迷わないため愛宕町まで行き、長久寺まに向かう。更に庁南城の北側に位置する道路を太鼓森案内板のある場所まで向かう。 太鼓森に向かう道を歩いて城ノ内・中城を過ぎると太鼓森に向かう坂道に続く道とと農業用水の為の貯水池に向かう道の分岐点に着く。 大鞁森には妙見社に続く坂道を上がっていく。ここに長南町が庁南城のために設置した唯一の掲示板がある。 貯水池に行き庁南城を見ると、貯水池が城の堀のように見えて、ここに庁南城があったという実感がした。 このように地図で説明する必要があるのは、庁南城について調査が今まで行われなかったので、実態が不明なのである。 更に庁南武田氏についても、菩提寺が火災に遭ったため多くの貴重な資料が失われたのであった。 そのようなこともあって、庁南城跡を歩くのに目標となる建物や案内板などがなく写真では説明しにくいのであった。 庁南城については 余呉くんのホームページ に載っている庁南城のページが唯一参考にできた。 千葉県の古城を掲載した本を読んでも役に立たなかった。 |
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