西暦 |
年号 |
主要な出来事 |
更なる出来事 |
1335 |
建武 |
6月 中先代の乱 北条時行が挙兵し |
7月 足利直義が鎌倉を放棄し、北条時行鎌倉を制圧 |
|
2年 |
8月 足利尊氏が後醍醐天皇を許可を得ず鎌倉へ進軍 |
8月 20日余で足利尊氏鎌倉を回復 |
|
|
11月後醍醐天皇が新田義貞を大将に足利尊氏・直義征伐の軍を出発させる |
12月箱根竹之下の戦いで足利尊氏の軍が新田義貞の軍を破る。 |
|
|
|
粟飯原氏光下総国で一族をまとめ、足利氏の配下になる |
|
|
|
足利義詮が鎌倉に常駐するようになる |
1336 |
建武 |
延元 |
1月 足利尊氏の軍が入京 |
1月 後醍醐天皇が比叡山へ逃げる |
|
3年 |
1年 |
1月 北畠顕家の軍が奥州から到着し新田義貞軍に合流 |
千葉一胤三井寺の戦いで戦死 |
|
(北) |
(南) |
|
1月 足利尊氏丹波方面へ敗走 |
|
|
|
2月 足利尊氏九州に上陸 |
3月 多々良浜の戦いで足利尊氏が天皇方に勝利する |
|
|
|
4月 足利尊氏九州を出発 |
5月 湊川の戦いで足利尊氏が天皇方に勝利する |
|
|
|
5月 足利尊氏の軍が入京 |
5月 後醍醐天皇が比叡山へ逃げる |
|
|
|
|
千葉貞胤坂本を守る |
|
|
|
10月足利尊氏と後醍醐天皇が和睦 |
10月新田義貞越前国金ヶ崎城へ向かう |
|
|
|
11月建武式目制定(室町幕府成立) |
10月千葉貞胤越前国木の芽峠で斯波高経に降伏 |
|
|
|
12月後醍醐天皇京都を脱出し吉野に向かう |
11月千葉胤貞三河で病没 |
1337 |
建武 |
延元 |
|
3月 越前金ケ崎城落城尊良親王自害・恒好親王捕縛 |
|
4年 |
2年 |
|
5月千葉氏胤誕生 |
|
|
|
8月 北畠顕家奥州を出発 |
12月北畠顕家鎌倉を制圧 |
1338 |
暦応 |
延元 |
1月 北畠顕家鎌倉を出発 |
5月 北畠顕家鎌倉を石津(大阪府)の戦いで敗死 |
|
1年 |
3年 |
4月 新田義貞斯波高経を破り金ケ崎城奪回 |
7月 新田義貞越前で戦死(灯明寺の戦い) |
1339 |
暦応 |
延元 |
8月 後醍醐天皇崩御 |
|
|
2年 |
4年 |
|
|
|
|
|
1340年~1346年 幕府軍各地で南朝軍を破る |
1345 |
貞和 |
興国 |
8月後醍醐天皇七回忌に天龍寺落慶供養が盛大に行われた。東常顕・粟飯原清胤が参列し先陣をつとめた。 |
|
1年 |
6年 |
|
1347 |
貞和 |
正平 |
楠木正行河内で挙兵 各地で幕府軍を破る |
|
|
3年 |
2年 |
|
|
1348 |
貞和 |
正平 |
1月 楠木正行四条畷の戦いで戦死 |
千葉貞胤楠木正行軍と戦う |
|
4年 |
3年 |
1月 高師直、吉野行宮に侵入 |
|
1349 |
貞和 |
正平 |
8月 高師直のクーデターで足利直義派失脚 |
足利義詮上洛し政務をみるようになる。足利基氏鎌倉に下向し初代鎌倉公方とし、鎌倉府始まる |
|
5年 |
4年 |
|
|
1350 |
観応 |
正平 |
足利直義の養子足利直冬、九州で直義派として反撃開始 |
10月足利尊氏・高師直、直冬討伐に出発 |
|
1年 |
5年 |
10月足利直義、京都を脱出し大和国で味方を募る |
桃井・細川・畠山と有力大名が直義派となり、足利尊氏が足利直義の討伐を決意。観応の擾乱第一幕が始まる |
|
|
|
11月足利直義、南朝に降る |
|
|
|
|
11月畿内 直義派の石塔頼房、近江国で尊氏派に勝利 |
11月関東 直義派の上杉憲顕、上野国で挙兵 |
|
|
|
|
12月直義派、鎌倉公方足利基氏を奪取 |
1351 |
観応 |
正平 |
斯波・山名・今川・吉良・六角・小笠原・大内・少弐・島津など有力大名が直義派につく。千葉氏胤も直義派につく。 |
|
2年 |
6年 |
1月➀足利義詮、京都を脱出し直義派の桃井直常が入京 |
1月千葉貞胤京都で没する |
|
|
|
②足利尊氏・義詮が京都に侵攻、直義派を撤退させる |
1月 直義派の上杉憲顕、甲斐国で高師冬を攻め滅ぼす |
|
|
|
③足利尊氏丹波に撤退、直義派の諸将入京 千葉氏胤も入京 |
2月 奥州探題で吉良貞家が畠山高国・国氏を攻め滅ぼす |
|
|
|
京都・関東・奥州で直義派が勝利し、摂津国打出浜で足利尊氏・高師直の軍に直義派の軍が圧勝 |
観応の擾乱第一幕は、足利直義が足利尊氏・高師直に圧勝という結果になった。惨敗した足利尊氏は使者を京都に送り足利直義と和睦した。和睦条件に基づき出家することになった高師直とその一族は、高師直に殺された上杉重能の養子上杉重季によって摂津国武庫川で討ち取られ高氏は滅亡した。
しかし、勝利したはずの足利直義に味方した有力大名が不利な扱いとなってしまい、不満を持った多くの大名によって観応の擾乱第二章がはじまってしまった。理由は下記の通り。
➀足利直義が争ったのは高師直であり、和睦後は足利尊氏・義詮親子と従前の通りのようになると考えていた。
②足利尊氏・義詮が政務に復帰し足利直義が足利義詮の補佐役となったため、足利尊氏が恩賞の充行権を確保してしまった。総大将の足利直義が恩賞を与える立場でなくなったので、多くの足利直義に味方した大名たちが恩賞をもらえない事態が発生してしまった。
③足利直義が降った南朝と和睦交渉が始まったが決裂してしまった。
④足利直義が幕府内で孤立していった。 |
1351 |
観応 |
正平 |
7月尊氏派が京都包囲網を形成 |
7月足利直義京都を脱出し越前国へ
観応の擾乱第二幕が始まる |
|
2年 |
6年 |
9月尊氏派の佐々木・土岐・仁木軍、近江国八相山で直義派の石塔・桃井軍を破る、 |
直義派の畠山国清・斯波高経が尊氏派に鞍替えする。足利直義は越前から関東に向かう。 |
|
|
|
10月足利尊氏南朝に降る。 |
|
|
|
|
11月足利尊氏足利直義討伐の為京都を出発 |
千葉氏胤は尊氏派に鞍替えし尊氏の軍に加わった |
|
|
|
11月南朝が和睦に基づき入京(正平の一統) |
11月足利直義が鎌倉に入る |
|
|
|
11月足利尊氏が駿河国由比・蒲原付近に陣を張る |
|
|
|
|
12月宇都宮氏綱が直義追討の為下野を出発 、高麗の戦い・金井原の戦い・足柄山の戦いに勝つ |
|
|
|
12月足利尊氏、薩埵山の戦いで足利直義を破る。(現在に静岡市清水区から三島市にかけて行われた) |
1352 |
文和 |
正平 |
1月足利直義、足利尊氏に降伏し鎌倉に入る |
鎌倉から信濃へ逃げる上杉憲顕の軍を追った千葉軍500騎が相模国早川尻で全滅する |
|
1年 |
7年 |
2月足利直義謎の死 |
観応の擾乱終わる |
足利直義謎の死によって、足利尊氏勝利にて観応の擾乱が終わったが、戦乱は続くのである。これは、直義派の武将たちは南朝に降ったため、南朝の活動が活発になったことによる。南朝が京都を占拠、幕府が京都を回復ということが繰り返される。南朝軍が京都を制圧は太字で書いた。
足利直義討伐の為鎌倉に進撃しその後も鎌倉に長くいた足利尊氏は1352年京都に戻ることになった。そして鎌倉公方の権限強化のため、鎌倉公方に恩賞の充行権を与えたのであった。 今後の関東経営を円滑にするものであったが、鎌倉公方が幕府から離れ自立する動きにつながってしまった
|
|
|
|
観応の擾乱後の主な出来事 |
1352 |
文和 |
正平 |
2月新田義興上野国で挙兵 |
足利尊氏鎌倉を退去し新田軍鎌倉占拠 |
|
1年 |
7年 |
2月南朝軍が蜂起し幕府軍を攻める (北畠親房・楠木正儀) |
足利義詮近江へ逃走、南朝軍京都を占拠 |
|
|
|
3月足利尊氏笛吹峠の戦いで新田軍を破り鎌倉を制圧 |
粟飯原氏光の子粟飯原基胤笛吹峠の戦いで戦功をあげる |
|
|
|
5月南朝軍が幕府軍に敗れ、大和国賀名生まで撤退 |
各地で旧直義派が南朝に寝返り活動をする |
1353 |
文和 |
正平 |
6月足利義詮美濃に逃れ、南朝軍が京都を占拠 (山名時氏・石塔頼房。楠木正儀) |
|
2年 |
8年 |
7月足利義詮南朝軍を破り京都を回復 |
|
|
|
|
9月足利尊氏鎌倉から京都に戻る |
足利尊氏、鎌倉公方の権限を強化 |
1355 |
文和 |
正平 |
1月足利直冬率いる南朝軍に囲まれ足利尊氏京都を脱出 |
1月足利直冬・桃井・斯波・山名を主力とする南朝軍が京都を制圧 |
|
4年 |
10年 |
3月足利尊氏率いる幕府軍が京都に攻め込み、1ヶ月以上にわたり京都争奪戦が行われ、足利直冬率いる南朝軍は逃走。 |
1358 |
延文 |
正平 |
4月足利尊氏病没 |
|
|
3年 |
13年 |
|
|
1361 |
康安 |
正平 |
12月足利尊氏方だった細川清氏 ・仁木義長が南朝に帰順、楠木正儀らとともに南朝軍として京都に侵攻、足利義詮近江国に逃げる。20日後に幕府軍は南朝軍を京都から撃退した。その後、南朝方の陰りが次第に明白になっていった。 |
|
1年 |
16年 |
|
|
|
|
|
|
|
1364 |
貞治 |
正平 |
上杉朝房 上総国守護に |
犬懸上杉家は関東管領として山内上杉家と並ぶ実力者となる。朝房→朝宗→禅秀と続くが、上杉禅秀の乱で没落する。 |
|
3年 |
19年 |
|
|
1365 |
貞治 |
正平 |
千葉介氏胤没。 |
父千葉介貞胤から15歳の時家督を継ぎ、京都から下総国に戻る途中の美濃で病没した。29歳であった。まだ嫡子満胤は6歳。歌道にもすぐれ文武両道にすぐれた人物だけに、早すぎる死は惜しまれる。 |
|
4年 |
20年 |
|
|